紅茶を世界へ(昭和30年頃)

 日本における紅茶生産は明治時代初期から輸出品の一環として始まり、昭和30年代のピーク時には全国で数千トンも生産されました。

 長野園でも当時は三井農林指導のもと、紅茶を製造していました。

今でも茶葉を発酵させるための棚や、萎凋させるためのメッシュ布が残っています。

 当時のことを知る先々代に話を聞きましたが、

 

「あのころは世界的に紅茶が足りなかったのでどんな紅茶でも売れた。

 萎凋はゴザを敷いて日光にあてていて、

 その後 室内に移すのだけど場所が足りないのでそこらへんに

 薄く積んでおいた。

 発酵も適当だった。私らは飲まなかったよ。」との事。

 

この紅茶ブームは一時的なもので2~3年で終わってしまったそうです。

 

 

 

紅茶を日本の食卓へ(2010年~)

さしま茶協会が主催で行った小学校でのお茶いれ教室がきっかけで、長野園では紅茶をつくり始めました。

緑茶のおいしいいれかたを小学生に体験してもらうこのイベントの最後に、地元で作った紅茶を小学生に飲んでもらう機会がありました。